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「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」

 投稿者:被害者の立場で考える会  投稿日:2008年11月16日(日)16時53分53秒
返信・引用
  「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」
宮野裕史(出所後、横山と改姓)と湊伸治の少年は、
プラスチック工場から8時過ぎ帰宅中の女子高校生を誘拐して、
湊の自宅に監禁した。渡邊恭史や垣東孝一(後に相田と改姓)も
レイプに加わり、手や太腿にオイルを塗ってライターで火をつけ
乳首をペンチで押し潰すなどした。監禁40日に尿を飲まされ、
食べさせてもらえるのは、少年たちの機嫌を取ったとだけだった。
江東区でドラム缶から発見された遺体には、陰部と肛門に瓶が
押し込まれていた。湊の両親(靖人、ます子)と兄(恒治)は
女子高生が逃げないよう監視していた。
彼女はどんなに痛く、どんなに辛く、どんなに悔しかっただろうか。
犯人たちの短すぎる刑期をご遺族は納得するのだろうか。

横山 祐史(宮野裕史):S45年4月30日生 身長160cm
     仮出所後の保護観察(東大阪市)が2ヶ月に短縮され、
     H19年9月頃には埼玉県川口市蓮沼に移ることができた。

湊 伸治:S47年12月16日生
    所在不明、平成19年まで介護資格を取り寝屋川で働いていた。
    リュヒテンシュタイン人と結婚。刑務所で服役したのは6年

両親=湊 靖人、ます子:京都市伏見区向島住宅にいたが転居
監視役の兄=湊 恒治(S47年1月21日生)

神作 譲(旧姓は小倉):再犯して服役中 S46年5月11日生

渡邊 恭史:S46年12月18日生 母親の名前は、渡邊ヤス
     生活保護で暮らす。刑務所で服役したのは4年

相田 孝一(旧姓は垣東):S46年生 今年4月から長女は中学3
     H18年4月、妻と偽装離婚し再婚、妻の旧姓に改姓
 
 

 投稿者:日経平均株価  投稿日:2008年10月26日(日)05時40分17秒
返信・引用
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8621/1209631328/
の投稿151以降で

地球温暖化報道の欺瞞が暴落の主因の一つではないかと
分析していますが、どう思われますか?
 

Re: モラルのない資本主義社会は犯罪と同じよ

 投稿者:管理人  投稿日:2008年 4月16日(水)08時34分51秒
返信・引用
  > No.101[元記事へ]

ユリさんへのお返事です。

>  必ず罰を受けるわ

私もそう思います。

ソ連の崩壊で社会主義体制が人間にとって不合理であり、
資本主義の体制に及ばないことは明らかになりました。
併しそれで資本主義体制の抱える矛盾が解決された訳でも何でもありません。

これで資本主義でいいんだ等と思い上がっていたら、
天罰が降らない方がどうかしていますよ。

資本主義の最大の欠陥は:一部の人間のみが富の恩恵を受け、国民は搾取の相手でしかないことでしょう。

ですが、それは社会主義も一緒でした。いいえそれ以上に抑圧され搾取されました。
今の福田政権、自民党政権の国民搾取はこれは官僚政治が原因です。

ですから、これから国民中心の政治体制を作るにはモデルはありません。
併しそれを一刻も早く作らないと国民は救われません。
イキイキと生きていけません。
こんな社会は民主主義ではありません。
官僚社会主義と言って良いです。

経済は資本主義が本格的に横行を始めています。
このままではアメリカ型の悪い意味の資本主義が形成されます。

そこでモラルが問われますが、さて今の日本はモラルを形成するだけの社会ではありません。
心はどこかに捨ててきたのですから。

反日の日本からモラルは生まれません。
何故なら批判からは、
人間の本質たる、愛と尊敬と感謝の念は生じないからです。
反日といわれる人たちから愛や尊敬、感謝の心が伝わってきません。
それが彼らが偽物の証拠です。

愛と尊敬と感謝の心を持った者が、日本の歴史を見直して、そこに私たちの活きる道を発見する。
それ以外に方法はないと思います。
 

モラルのない資本主義社会は犯罪と同じよ

 投稿者:ユリ  投稿日:2008年 4月 6日(日)12時59分10秒
返信・引用
  必ず罰を受けるわ  

遅くまでお疲れ様でした

 投稿者:管理人メール  投稿日:2004年 9月28日(火)09時19分9秒
返信・引用
  すみません途中で席を外してしまい。
最近ちょっとアルコールに黄色信号がともっています。
疲れを取るだけでなく、体力の増強が課題のようです。

またご存じの通りの身体です。選挙に出ると言っても人並みのことをやれる筈がありません。
私が出ると言うことは私にはそれなりの覚悟があってのことです。
今までは周囲の方に迷惑をかけたくないという気持ちを大切にしてきました。
自分で自分のことをやるというのが人間の生き方だと信じていました。
でも、そうではなく、自分の力など微力なものなんだと先の選挙で思い知らされました。
そして、人と共に生きているのが人間の真実なんだとも思い知らされました。
迷惑をかけて生きて行こうと思います。
申し訳ありませんが、これからも宜しくお願い致します。
調べておいて頂きたいことがいくつかあります。
車イスで利用できるバスがあるかどうか、あれば、どの方面にどのくらいの頻度で出ているか。
福祉タクシーをどの会社がやっているか。営業時間が何時から何時までか。
料金はどのくらいか。
車イスで入れて、数人が入れる店と会議室がどこにあるかなどです。
今回は本当のテストですので行けない場合があるかもしれません。
それでどなたともあう約束はせずにいます。
今回は飯塚支部結成のための二人での散策くらいのつもりでおります。
先ず飯塚支部を作ることを目標に頑張りましょう。


 

お疲れ様でした

 投稿者:筑豊担当  投稿日:2004年 9月26日(日)00時30分44秒
返信・引用
  ブロック会議、お疲れ様でした。途中からになりすいませんでした。
選挙前の春のブロック会議より、はるかに熱い雰囲気でした。
管理人様の決意に皆さんも、早くも始動といった感じです。
とりあえず、管理人様の来月の筑豊遠征ということで、こちらもスタートです。
下調べやっておきます。(何かご希望がありますでしょうか?)
 

人間の生き様を破壊する男女共同(平等)参画社会

 投稿者:管理人メール  投稿日:2004年 8月26日(木)08時38分59秒
返信・引用
  社民党の前身社会党は社会主義社会を目指した革命政党で、
その政策は社会主義革命が目的であり、「国民の生命を守れ、国民の人権を守れ!」はその為の手段方法しかに過ぎませんでした。
それは北朝鮮による拉致問題への対応がその事を証明しています。
国民の生命より、北朝鮮政府を重んじ、国民の声より、北朝鮮の声を代弁してきたのは彼等でした。
そのことは社民党になってもなんら変わりませんでした。
男女共同(実質は平等)参画社会法案への彼等の態度も同じです。
彼等は女性の生命や人権を守ろうとしているのではなく、自分たちを守ろうとしているだけです。自分たちの主義主張を守ろうとしているだけです。この体質はずっと昔から続いているものです。
彼等が本当に守ろうとしているのは、ありのままの国民の生命や人権ではなく、自分たちの支持者の人権と生命です。社会主義社会になった時の日本国民の生命と人権です。

男女共同(平等)参画社会法案は日本を社会主義社会に変革するための布石の法案です。
かつて社会主義革命を目指した人間達には、武力闘争による革命政権樹立を画策する者と政府権力機関の中枢に入ることで革命政権を樹立しようという者とがありましたが、これは別々のものではなく、車の両輪です。前者は内部分裂闘争を繰り返し破滅していったけれども、後者は深く静かに生き残りました。男女共同(平等)参画社会法案はこの人間達により画策立案されたものです。
個々の法案・条例の文字に拘泥せず、この法案条例は一体何を言わんとしているかを見極めればそれが明らかになります。
彼等はそれこそ句々言葉や条例に拘泥せず全体の流れを確立すればよいと考え行動しています。
この法案・条例の云わんとするところは、要するに、「家庭や家族というものは人間にとって無用のものであり、21世紀の日本社会は、この国民を縛っている家族制や家庭というものを破壊して、人間個々を中心とする社会に転換します」というものです。
少し社会主義についてかじった人であれば、これは聞いたことがある言葉でありましょう。
思い出されませんか?
ソビエトがそこに見えませんか?
かつてロシア(昔のソビエト)ではレーニンの革命主義に立って家族が破壊されました。
それをマスコミは色んな形で新しい人間社会の建設だみたいに報じてきたではありませんか。
ソビエトでやられていることは何でも素晴らしいのだとばかりに、家庭から離された子供だけの姿をイキイキと元気に学んでいる子供達という様に放映されていたことを覚えていませんか?
それと同じことを実現するべく、現代の日本で法案として成立したのです。
事態錯誤とはこのことです。
政治家や評論家マスコミは、国際化と云いながら世界の歴史も現実も何も見ていない。
歴史を反省すると云いながら歴史をちっとも見ていない。
政治に携わる人間ならそれが見えていなければなりません。
政治に口を差し挟もうとするならそれをきちんと見なければならないのです。
洗脳されたり、洗脳された人間の指示で動いている人間ならば兎も角も、国民の生命や人権を守るべきだという人間が、国民の人生、生き方を全面的に変えてしまうこの様な法案条例を制定したことに無知無責任と批判されることは当然です。

長くなりましたが、近藤君達はこの男女共同(平等)参画社会に反対され活動されているている方です。皆さんのご理解とご協力をお願い致します。
 

筑後市のフェミ議員のサイトについて

 投稿者:近藤将勝  投稿日:2004年 8月24日(火)00時01分29秒
返信・引用
   東京都荒川区同様、条例案を撤回した福岡県筑後市の社民党系女性議員のホームページがしばらくみないうちに更新され、新たに掲示板が新設されていました。
 福岡県生活指導研究協議会(共産党系)は反対意見がくるやいなやさっさと掲示板を閉鎖しそのファシズム体質を自ら暴露しましたが、さて女性議員氏はどういう反応を示すでしょうか?皆様ご意見をこの女性議員の掲示板までお願いいたします。
 ご参考まで6月議会での条例案撤回についての彼女のコメントを以下、ご紹介します。

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筑後市男女共同参画社会づくり条例

*昨年から市長の諮問機関として女性問題懇話会が設置され条例作りに向けて提言も終わり、2004年3月議会には提案のはこびとなっていましたが、残念ながら市長が提案できませんでした。
*やっと6月議会に提案したのですが、総務文教委員会にて東京都荒川区の条例(荒川区の議会では否決)の一部を筑後市の条例案にくっ付け修正案が提出されました。
*修正案に「性差を否定するような教育を行ってはならない」という文言があり、第1条から19条までの筑後市の条例案を否定するような文言になっておりました。
*このような条例ができたら筑後市の女性政策はまったく進みません。よって市長に撤回を求めました。
市民も含め撤回を求めた結果撤回になりました。しかし、荒川区の条例案を入れた請願は賛成多数で採択されています。
*条例はできませんでしたが国は基本法を作り最重要課題と位置付け政策を進めます。県は条例を作っていますので女性政策は進むと信じています。筑後市でも条例は無くてもこれまでも政策は進めていたのですから今後も進むことを信じたいと思います。

http://8729.teacup.com/suekok/bbs

 

民主主義と日本について

 投稿者:管理人メール  投稿日:2004年 8月21日(土)08時42分6秒
返信・引用
  僕は先に今の民主主義は偽物だと書きました。
併し、それは民主主義そのものを否定しているのではありません。
というより、逆に民主主義というものを通して本当の人間社会が見えてきたと確信している人間です。
ただ、それだけに今の日本における民主主義というものは、底の浅い、偽物民主主義だと断言し、非難するのです。今の民主主義だけが絶対に正しいなどと云う考えは全く馬鹿げたものです。聖徳太子より民主主義を知っている自分たち現代人が優れているなどと云う思い上がりが今の日本人にはあります。こんなへ理屈がまかり通り、現代社会では、日本における最も偉大な人間の一人である聖徳太子の素晴らしさすら尊敬されることがない。こんな社会は人間社会として間違っております。それが間違っていることが見えない、そういう人間として考えられないことが罷り通っているというのは、現代日本社会が洗脳社会だからです。

民主主義とはそういうものとは反対のものです。民主主義とは、本来は個の覚醒に立脚して初めて成立するところのものなのです。
民主主義はイデオロギーの範囲内のものですから、人類を救済し得る次元のものではありません。併し、民主主義が定義した、個を基本とする社会構造というものは、これは素晴らしい。欠点もあるけれども、これは人類が新たな真実社会を切り開くスタートをなしたものです。そこに社会の民主主義の人類史における意義と必然性とがあるのです。この道はもはや進化することはあっても、止まることはない道であります。

個と全が同時であるのが生命の実体です。
その人間の真実が社会として実現される可能性が開けてきたのです。
個人としては、この生命の実体を自覚し、生きた人は、宗教人を中心に少なくありません。ですが、民主主義により、人類が予感したものは社会そのものの覚醒なのです。民主主義は神権主義に対するアンチテーゼとして生まれたものであり、初めからそんなに大した内容があったとは考えておりませんが、人類はこの民主主義により、個人を基本とする社会があるとということに初めて気が付いたのです。
でも、それは未だに個人と全体とが相対立したところのもの。ここに今の民主主義の欠陥があります。というよりそれは民主主義のイデオロギーとしての限界でもあります。そこに現代日本の矛盾と退廃の原因があるのです。個と全が対立し、個が全を否定したり、忘れたことで、個は自分の存在意味が分からなくなり、彷徨っているのです。
個と全は同時であることに気が付くと、今の民主主義は精気を取り戻します。
その先に民社主義を超えた真実の人間社会というものが見えてきます。
ところが、それは我が国の本質そのものであります。
あらら、どうしたことでしょう。
民主主義を推し進めて行くと、そこに開けたものは、民主主義の正反対の封建主義と批判された天皇制と同じものであったとは。
なんのことはない。戦後の民主主義という名の洗脳によって、私達が人間社会の真実が見えなくなっていただけのことなのです。
個と全が一つである。同時である。それが生命の本質であり、人間社会の真の姿です。民主主義を通して人類が求めているものはそれです。
私達の祖先は、民主主義が提案し人類が予感した真実の人間社会を、違う形で、違う言葉で追求していたのです。
それは私達の祖先が人間社会とは国家とは生命あるものだと考えてきたからです。
そこに日本の素晴らしさがあります。
 

もちやはもちや

 投稿者:管理人メール  投稿日:2004年 8月21日(土)08時34分27秒
返信・引用
  大工の使う言葉に、「もちやはもちや」というのがあります。
「もちや」という言葉がどういう文字を使うのか知りませんが、意味は、「大工仕事は大工が、左官の仕事は左官がすべき」というようなことでしょうか。大工でも左官の仕事もできますが、結局は、金はかかる、時間もかかる、見栄えは悪い。ろくな結果にはならないという意味で使います。
要するに腕のいい業者を選んで、後はお互い信用して任せるのが、いい仕事をなすことになるということなのでしょう。仕事をしていられる方なら当然百も承知、二百も合点のことです。そうでなければ仕事にならないのですから。
ところが日本の社会はそうではない。日本では民主主義を人類の最高形態であるかのように云っています。でも、本当にそうでしょうか?
今の日本の社会の実態を素直に見れば、そこにあるのは不信の世界であります。
人が人を信頼しない世界であります。
日本の過去の歴史は侵略の歴史だと言い続けられてきました。
そこには、自分たちこそ正しい、自分たちだけが真実を知っている。過去の日本人は侵略者であり、人殺しであり、或いはそういう指導者にだまされた人間達であるという思い上がり、慢心があります。
そうでしょうか?私達の過去の指導者は極悪非道の侵略者で、先人らは世界の見えない無知者であったのでしょうか?
祖先のことを、自分たちと同じ血の流れる日本人だと思っていない。同じ人間だと考えてもいない。先人を全く信じていないのです。
どうして、そういう自分たちを顧みて、これは人間として不自然だ、おかしいと思わないのでしょう。
どうして、もしかしたら自分たちこそ、洗脳されているのであり、世界の真実も、日本の真実の歴史も知らず、どこの誰か分からない人間たちに動かされ、傲慢無礼な歴史をばらまいて、謝った歴史観の上に立ち、自らの祖先を冒涜するという人間として最も恥ずべき行いをしているのではないかと考えられないのでしょう。
思想信条の自由と云いますが、この自由が、自己の発言に責任を持たねばならないという時代を超えた人間の価値観を崩壊させているのが、現代世界の現実ではないでしょうか。

注文主が、大工を信用しないで、私が監視していなかったら何をするか分かったものじゃない、という目で見られていたら、大工は本気でいい仕事する気になんかなりません。
私には、今の日本社会は本物を破壊する社会であると映っています。
私が育ったのは農家であります。そして、私は大工の仕事にあこがれ、設計もしたいと考え大学の建築科に進学した人間ですが、その両方の世界で、技術がどんどん落ちている。農協の倉庫の前などで大量の稲の苗が作られていたりします。百姓が他人に稲の苗を作ってもらうようになったらもうおしまいです。それは百姓のやることじゃない。合理的ではあっても農業技術は失われてしまう。大工の棟梁からお前は才能がないと大工を止めさせられた丁稚が、大手の住宅会社に働きに行って優れて腕のいい技術者として扱われ、いい給料をもらっている。本物の腕を持つ大工は仕事がなく、職を失い大工から離れる者もある。
こういう社会を見ていて、私はどうしても、日本人の云う民主主義は信用できない。本来の民主主義はそんな者じゃないはずなのです。
今の日本の民主社会は偽物としか思えない。お子ちゃま社会としか見ることができない。大人の社会ではないのです。
維新政党新風の役割はここを正すことだと思っております。
民主主義という言葉に惑わされず、「信」を根底とした社会を建設し、本物が尊敬され、堂々と先頭に立って生きていける社会を建設すること、その事によって国民一人一人の命が輝く社会を建設することだと考えます。
 

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